微力だけど無力じゃない

▼「どうせ私(僕)の意見なんて聞き入れてもらえないんだ」って思わせてしまう社会や環境ってなんだか悲しい。言葉は発言者の力によって左右されるものじゃなくて、本来は一人ひとり尊重されるべきものでしょう。
そう思い始めると、自分がいると証明したくなったり、爪痕を残したいがために暴力的な発言をしがちになる。あえて相手を傷つけたくなったり、自分を大きく見せたり。前に私も「わかってもらえてない」という疑念が膨らんだときにそういう態度をしていたこともあるから、気持ちはすごくよくわかる。
でも、そういうときにする発言ってどこか上滑りしてて中身がない。話してる本人ですらも「なんでこんなこと言ってんだろ」って話しながら思ってたりとか。
だから、いま目の前にいる人がそんな発言をしていたら、極力そう思わせないようにしたいんだよね。ちゃんとわかってるよ、あなたのこと信じてるよって伝え続けたい。
きっとそういう発言をする人も、心のなかで血の涙を流して何かを訴えてるのかもしれないし。
発言の裏側に寄り添って、見えない心の仕草でどんな相手にもフォローしていたい。相手を理解するってきっとこういうことなんだろうな。
kokugo
▼指導は矯正でもないし、人格否定でもない。最近、女子中高で英語を教える弟の授業を見学する機会があり、そんなことをふと思った。
言うことを聞いてくれないから、何度教えても自分の思うように成長しないから、と言う言葉を耳にすることがあるが、自分自身の指導の仕方に問題がなかったかと一度見直すことはしないのだろうか。もしかしたら相手の目線に立てていないのかもしれないし、自分の価値観を相手に押し付けること=教育となっている可能性もある。そもそも話に耳を傾けるだけの人間ではないと判断されていて、尊敬や信頼をされていないという悲しいことも想定できる。
一番大切なことは一個人として相手と向き合うこと。それは、指導や教育だけではなく、すべてにおいて言えること。相手を思えば、発する言葉も変わってくるはず。忙しくなると忘れがちだから、自戒の意味も込めてここに記しとく。
A Long Dream
▼部屋に観葉植物をおきたくて、うちの下の階にあるお花屋さんで、いっつも植物を眺めている。意外といい値段するのね〜。夏前ぐらいまでには、窓沿いに大きな植物をおきたい。朝起きたらお水をあげて、大きな葉っぱを太陽に透かしてみたり、ちょっと綺麗になったかもしれない酸素を胸いっぱいに取り入れたいから深呼吸してみたり…なんて想像して迎え入れる準備をする。でも私、植物を育てる才能がない。よく枯らせてしまう。お母さんはそんな私を見て「生きている限りは何度だってやり直せる!枯れたっていいじゃない!また育てましょう!」と励ます。あまりにもでかすぎる主語に笑ってしまうが、確かにそうだな、生きている間にはいくらでもやり直せるよね〜なんて元気が出た。ちなみにお母さんはガーデニング名人。実家に帰れるようになったら、お花の苗でもわけてもらって、ベランダで育てようかな。お盆かお正月帰れたらいいな。
待ちぼうけ

▼去年、歯医者だけでうん百万と医療費がかかったので確定申告したら、還付金が戻ってきた。雀の涙ぐらいの額だけど、嬉しすぎて私も涙。うん百万も支払って、毎月痛い思いしてた私ってそーとードMだよなガハハ!なんて最初は笑ってたけど、自分の薄給&大事故が起きたら一発で終わる貯蓄を切り崩して支払ってたら、心までどんどん擦り切れてきて…とまあ健康とお金はまじで大事だと思ったので、みなさんも自分のこと大事にしてね
▼3週間ぐらい生身の人間に会ってなくてさすがに寂しくなったので、友達と食料品の買い出しをした。(もちろんソーシャルディスタンスを守って、眼鏡マスク装備して)
たった数分だったけど、人に会って同じ時間を過ごすことってこんなに素晴らしいことだったのか〜って感動しちゃったよ。オンラインもメールもいいんだけど、やっぱり生身の人間に会うのはいいねえ。もっと自然に会えるようにならないかなあ。
▼最近iPhoneをやめて、前から使ってたinfobarだけで過ごしてる。ネット断食できるから、心健やかな日々を送れるけど、地図もLINEも基本見られないのでちょっと不便かも。でも、よくよく思い返すと、昔はこれが普通だったんだよなあ。今はちょっと便利すぎたのかも、だから人を悠長に待てなくなったり焦ったりしてたのかな。とはいえ、待ち合わせもけっこー大変で「○時 ○○前で!」って決め打ちしないと人に会えない。でもなんかこんな生活もちょっと楽しいって思ってる自分がいる。