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「ねえ、最近ブログに鍵つけたでしょ?パスワード教えてよ、読みたいんだよ」と職場の先輩に突然いわれ、「私の好きな国を当てたら、読んでいただけますよ」と返事したら、「わかんない、いいや、すぐ教えてよ」っていうもんだからさ、言ってやりたかったの、以下の文章をさ。

いやいや、私の文章好きならがんばって私の好きなものを知っていただき、そのハードルを乗り越えて、読みに来ていただきたいですね。先輩に対して大変失礼なことを思ってしまったのだけど、でも、がんばってわかってほしいのよね。なーんて。

そんな先輩、いまこのブログを読めていますでしょうか。おーい。そう、画面の向こうのあなたです。いつも私の文章を好きといってくれるあなたですよ。

 

最近は相手の気持ちを想像することを大切にしてる。

この言葉を投げかけることで、相手はどういった感情になるんだろうか?ってたくさん想像に想像を重ねて、なにこの丁寧過ぎる気の遣い方って思われてもいいから、失礼に値するなら死ぬというぐらい、寄りそって寄りそって寄りそい続けている。(という努力であって実際できているかわかりませんがね。)

 

ただ、さすがに私も人間なので、相手の気持ちを考えたくないときもある。そういう夜は一人でいきつけのバーにいく。そのバーで、こないだ隣に獣医のお姉さんが座っていたので、ふと「人間ですら相手の気持ちを考え続けることに疲れるのに、動物なんて言葉を話せないでしょう?すんごーく気を遣いませんか?」なんて荒唐無稽も甚だしい、相手の気持ちにも一切寄りそってないようなピュアな質問をしてしまった。

すると獣医の姉さんが一言。「動物のほうがわかりやすいですよ」なんていう。「動物だったら自分がつらいときに吠えたり、飼い主の手にかみついて、意思表示すればいい。人間は自分の本心を隠して笑ったり、あえて言わないこともある。言葉を持っている以上、人間は複雑ですよ」とのこと。

なるほどねー。動物いいなぁなんてまた荒唐無稽なピュアな思いを動物に捧げる。いや、動物だって苦労あるかもしれないけどさ、なんかこの生き方に疲れちゃうときもあるんだよね。

 

といいつつも、朝がくると、また目の前の相手の心に寄り添い続けるんだろうな。相手を知り、わかりあえたときの喜びが半端ないから、だから相手を思うことをやめられないのかもしれないのだけど。