台湾日記1

■普段、台湾旅行をしてもちゃんと日記におさめないで記憶の片隅にしまっておくだけなので、たまには日記にしてみる。もしかしたら誰かの役に立…たないとは思うけど、思い出ってことで。

 

■1日目

朝9時起床。この日、乗る予定の飛行機は成田発12時40分のバニラエア。バニラエアは最低でも50分前にチェックインをしないとならない。とすると、成田には最悪でも11時30分にはついていないとまずい。東京から、というか、阿佐ヶ谷からだとだいたい余裕もって見積もって最低でも2時間半は移動に必要だよな、つまり9時前には新宿発・成田行きのバスに乗ってないとならないよなって今ならわかる。今ならな。9時に起き、「あ~1時間あれば余裕っしょ~今回は事前に仕事もないし時間あるから大丈夫~」なんて羽田にいく感覚で悠長に構え、シャワーを浴びてたあの時の私をぶん殴りたい。後に冷や汗をかいて成田空港を疾走するなんて、このときは誰も知る由もなかった。

 

10時。やばいさすがに急がないとまずいわ、と、前日まで何も準備していなかったリュックにTシャツ1枚、ジーンズ1枚、下着類に化粧品とパソコンを詰め込んで家を出る。そう、私は3泊以上の海外旅行でもリュック1つ。最悪、現地で服は買えばいいし、なんなら下着はお古のを身につけるか、100均に売ってるサウナ用の紙パンツを持っていって捨てて帰ってきている。タオルも水につけると膨らむフリーズドライみたいなタオルにした(これも100均で売ってるよ)

あ、新宿まで行くのに時間ないから、タクシーでも乗るかな…なんて適当に捕まえて乗り込む。

 

10時30分。タクシーに乗り込んでから、バスの時刻表をやっと調べる。このときの私にいいたい、前日の間に調べておけと。おや?ここでやっと異変に気づく。調べても調べても11時30分に着くバスがない。今からバス乗ったら到着するの13時以降じゃね?もし11時30分に成田にいたいなら、私、9時にバス乗ってないといけなかったんだ。

「死にたい」

人はピンチに追い込まれると、命を無碍にしてしまうようだ。いや、死んだらあかん。電車ならまだ間に合うかもしれない。震える手を抑え、電車を調べてみる。どう頑張っても成田着は12時30分を回るな。

「死にたい」

もう死ぬことしか道は残されていないのだろうか?お父さんお母さんごめんなさい。いや、謝っている場合ではない、どうにかするしかない。このピンチを切り抜けるにはどうしたらいいか、とっさに私はこうつぶやいていた。

 

「運転手さん、成田空港までお願いします」

 

『はい?』

 

誰もが聞き間違えたと思うであろう。いや、私だって何かの間違いだって信じたかった。当初お願いした新宿にすら着いてもいないのに、成田空港?しかもこんな軽装で何しに行くんだよ?そう言わんばかりに混乱する運転手さんの表情。でも、時はカネなり、Time Is Money。お金で時間が買えるなら、もう、そうするしかなかったんだ。

 

「私、お金ならいくらでもあるんで、とにかく、あと1時間で成田空港に連れてってください!!!!!!!!!」

 

そうとうヤベーやつが乗ってきてしまったと運転手さんは思ったのであろう。ミラー越しに見える運転手さんの顔はみるみるうちに青ざめ、額から汗が噴き出てきていた。「諦めたらここで試合終了だ」とどこかの誰かが言っていた気もするが、もう誰もがわかる、ゲームオーバー。マリオは一体も残っていない。ぷよぷよの上に石が山積み。ライフはゼロ。そんな状態。

 

ああ、もうこの飛行機は諦めて夜の便を取り直すか…とスマホで検索をしはじめた瞬間、前の座席から震える声で運転手さんは私にこうつぶやいた。

 

「間に合うかはお約束できませんが。シートベルト、しっかりつけておいてください」

そういうと、運転手さんは深くアクセルを踏みだした。

 

 

~~~~~つづく~~~~~

 

完熟宣言

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■お正月休みとは別に、おそいおそい夏休みをとろうと思っています。海外いく。あったかいといいな。ゆっくり休む。

■先週から大好きな人たちに会えていてすごくうれしいし、とても元気。美容室にもいって大好きな友達(Tetra Recordsと同じ髪色にしてもらった。

■いろんな話を聞いて思う、周りの意見も大事だけど流されすぎるのもよくない、好きって気持ちを大事にしていこう。以上~

だんらん

2年前のお正月にかいたもの

 

▪️ああやっと帰ってきた、と弟たちの帰宅を喜んでいたのもつかの間、続々とやれ仕事だ学校だと自分の持ち場へと戻ってゆき、それまでみっしりと靴が並んでいた玄関がなんだか寂しい。夜遅くまでがやがやしていたリビングは、1時間ごとに鳴る時計が星に願いを、を流すだけで、しんと静まり返っている。

思えば、家族みんなで食事をとらなくなった。年に3回あればいいほう?年末年始にみんなでご飯が食べられたらラッキーって感じ。だいぶ数が減った。

そんな食卓事情だけど、昔、うちには父親によって作られた「食事における父親ルール」あった。

(その1)日曜の夜だけは、絶対にみんなで食事をする
(その2)家族で食事をするときは絶対にテレビを消す
(ただし、どうしても見たいというならば、NHKのみ許可)

\えーー!!絶対やなんですけどーーーー!/
それが私たち子どもたちの第一声。
だけど、うちってお父さんが法律みたいなところがあるから、静かに言うことをきくことにした。

部活があっても友達と遊んでても塾があっても、絶対にちびまる子ちゃんまでには帰宅。着席。あ、もちろん配膳も手伝う。

「いただきまーす!!」
『ほら、あやこ肘ついてる!』
「はい、すみません」
としあき、茶碗もて!』
「(ぐすん)」
『泣くな男だろ!』

もう、血の涙も滲んじゃうような食卓だったけど、毎週日曜のこの食事は私が高校を卒業するまでずっと続いた。

で、そこから私がいなくなり、弟も進学を機に家を出て、、と順繰りに巣立っていった。

「いつかな、みんなで話しながら食事できなくなる日が来るから。黙って席ついてろ」

って、よくお父さんが言ってたんだ。その時は、「はー、黙って席ついてろ?どういうこと?」って思ってたけど今ならわかるよ。

本当に家族で食卓を囲めたことがかけがえのない思い出になっているし、感謝してばかり。些細なことで食卓でお父さんと喧嘩した日、あの時は泣いちゃってご飯食べられなかったけど、いまなら笑って話せるいい思い出。

違うところにいたって、帰ってこられる場所がある。それが家族なんだよねきっと。と家族の美談を新年の挨拶にかえさせていただきます。本年もどうぞよろしくお願いします。

どっちでもいい

■わたしの口癖のひとつに「どっちでもいい」という言葉があり、ひとによってはこだわりがないのかなんて咎めてきたり、無責任だなんて怒られたりもする。

 

どういったシチュエーションの時にいうか。

Case1、ご飯へ行くとき。「パスタとお米どっちがいい?」と聞かれて「どっちでもいい」

Case2、道がふたまたに分かれていたとき。「右と左どっちにいく?」と聞かれて「どっちでもいい」

Case3、何かプレゼントをもらうとき。「赤と青どっちがほしい?」と聞かれて「どっちでもいい」

 

私のいいたい「どっちでもいい」って相手が望む最善の答えであれば良いって意味での「どっちでもいい」という言葉であって、特にこだわりがないわけでもなければ責任の所在をなすりつけたいわけでもない。ただ、相手が過ごし良い選択であればそれで私はいい。

 

自分のなかで譲れないことや守りたいことはいくつもあるし、自分がないわけでもないけど、こと「人との付き合い」ってことで考えると「どっちでもいい」ってわりと言いがちだ。

 

まあこの話題も正直どんな結論であろうとどっちでもいいし、どうでもいいことなんだけど、なんとなく忘れないようにメモ程度に残しておく。