楽しい暮らし

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◼︎土曜

高校時代からの友人Mちゃんと海へ。

前の晩、電話で予定を決めてたら、そばで会話を聞いてたであろうMちゃんパパが、「俺も行きたい!」と声をかけてくれたので、参加決定。おもしろメンバーで車にライドン!
 
某国立大で教授をする傍ら、大学の広報もしているMちゃんパパの「どう広告を打ったら、うまく回りを巻き込んで、反響を出せるか」っていう話が、もう今の自分にドンピシャすぎてわ〜〜か〜〜る〜〜と共感の嵐。ジャンルは違えど、同じ方面で仕事をしている人と話すのは勉強になるなあと思いながら、真昼間から生ビールを2杯…。最近の酒乱っぷりを反省しようと思い、禁酒するぜ!と思ってたけど、お酒を前にするとダメだった…意志のNASA\(^o^)/
 
そんな風に仕事の話に熱をいれてたら、Mちゃんが、「たっちー、仕事楽しそうで嬉しいよ。東京でフリーターしてた頃とか、しんどそうだったもんね。」と言葉をもらい、号泣しそうになった。いや、少し泣いた。
 
あの頃もあの頃で充実してたし、あの頃があったから今の自分がいるのはわかってるんだけど、ずっともがいててしんどかった。悲劇のヒロインぶるな、みんなだってしんどいんだぞ!っていう正論もわかるのだけど、ただただ純粋に「つらい」「さびしい」っていう気持ちにそっと寄り添ってくれた、その当時からの友達には超サンキュー&これからもよろしくお願いします!って感じ。
 
ふわふわほろ酔いで夕方には解散。愛すべき友に会えて、心満たされフル充電して即爆睡。
 
 
 
 

トンボの視界は万華鏡

「あなたはBですね」

ある日突然告げられた視力Bの知らせ。数値にすると0.7ぐらい?数値じゃなくてアルファベットで視力を教えてくれるのは、うちらが住むエリアだけらしい。それをつい最近知った。

で、話は戻るけど、小学4年生のとき、それまで最高水準A(だいたい1.0以上?)を出し続けてたわけなんだけど、急に目が悪くなってしまった。理由はきっとゲームボーイのしすぎ。親から買い与えてもらったポケットモンスターがもたらす二次災害。マサラタウン、四天王、ピカチュウ。クラスの一員として馴染むための、共通言語としてのポケモン。みんなこぞってポケモンをやっていた。

ポケモンをやりすぎて視力が下がったと親が知ると、ソッコーで取り上げられてしまった。その代わりに、渡されたのはタモリのサングラス…のような視力改善装置。いまや懐かしいテレホンカード。あのカードに空いた小さな穴から外を眺めると、しっかりと焦点が絞られるためか視力が上がるっていう都市伝説のような話、ご存知ですか?それをむりやり形にしたような、無数の穴が空いたサングラス。そのサングラスを毎晩、夕飯の時にかけろとの指示。

一般家庭の食卓を覗き込むと、リトルタモリがぽつん。シュールの極み。だけど、親が言うから、私はちゃんと約束を守ろうと決心は一応した。

でも正直言わせてもらうと、このまま視力がさがればいいと思っていた。なぜなら眼鏡に憧れがあったから。だから、志なかばで眼鏡をかけられるように、夜中にこっそりゲームボーイをやってしまった。もちろんバレて、よりこっぴどく叱られた。

いまでも眼鏡に憧れがあり、男女問わず眼鏡をかける人を見ると、自然と目で追ってしまう。まあいまや視力も無事に上がってしまって、PC用眼鏡ぐらいしかかける必要ないのだけど、いまでも好きです憧れです眼鏡って存在は。


シブヤニシムラフルーツパーラー

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http://www.popsicleclip.com/review/

『食べすすんでいくと、少ししょっぱい。』

humming parlour

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泣きながら食べる喫茶店のパフェの味は、むせるほど甘ったるくて、涙のせいかどこかしょっぱい。まるで人生みたいだなとちょっとばかりくさいことも言いたくなるような、美味しいのだけど胸が苦しくて甘酸っぱい…そんな味がする。

それが、『humming parlour』という女性ヴォーカルkawaie.を中心としたユニット名と、2013年5月8日に発売された『食べすすんでいくと、少ししょっぱい。』という、フィジカルな形としては初めてリリースされるアルバムタイトル名を聞いて、はじめに感じた印象だった。

 

フェンスを突き破り、黄色いワンピースを着たパンツ丸見えの女の子が空を飛ぶ、可愛くて一際目立つジャケット。ワクワクしながら封を開けてCDをかけてみる。

優しく紡がれるメロディーとウィスパーヴォイスが軽やかに流れ出す。アドバンテージ・ルーシーやシンバルズ、ラウンド・テーブル、そしてカーディガンズをも彷彿させるようなネオアコ系ギター・ポップは、軽快で心が弾む。

 

1曲目「arpeggio」では、その名の通りアルペジオから始まり、《I can fly, because nice today/it's ready, it's trendy》《今日は飛ぶにはもってこいだ/すぐに行こう/ノリが大事!そうでしょ?》と現状から脱出したい願望を示し、《わたしはこの青い道を知ってる/素敵なタイと夏の嘘》と言うことで旅の行き先を教えてくれる。これは、旅立つ前の浮き足立っている感情を曲に込めているのだろう。BPMも160ほどのアップテンポで、浮かれる気持ちをさらに後押しする。

 

爽やかなネオアコ系ギター・ポップだけではない側面が垣間みられる5曲目「triangle of the heaven」では、伊東達也(Gt)が影響を受けたというザ・スミスを想起させる、パンキッシュで透明感溢れる美しいギターの音色がキリっと際立つ。《緑がざわめく場所へと出たんだ/その中で君の記憶を見送る/ただ、何も言えず/踊っていたんだ》という、好きな人をただ遠くで眺め、記憶のなかで生き続ければ満足だという恋に臆病な歌詞もザ・スミスのようだ。

 

そしてラストの「door」は、それまでのイメージとは異なるしっとりとしたバラードソング。丁寧に指弾きされるアコースティックギター、グロッケンと鍵盤ハーモニカ、そしてぽつりぽつりとしたつぶやき。

自身の心情は、《続いてゆくこの星の少しを/瞬く間に駆け抜ける私は/ためらい、持て余すほど疎くて》と明確に話すのに、二人称に向けての願望は《叶うはずないただひとつ、「このまま」》と、曖昧に表現する。もっと歌いこみたいという気持ちをぐっとこらえ、感情を出し惜しみするため、この効果により、彼らが描き出そうとする世界を私たちは想像する。そのため、深い余韻が生まれ、心情や風景描写が明確に浮かび、より豊かなイメージへと広がってゆく。

 

「ああ!人生謳歌してる、毎日が楽しいわ!だけどね、ただただ楽しいだけじゃなくて、人生って色々あるんだよね……。」なんてリアリティのある日常も描き出すhumming parlour。ふり幅がある今作は、いつか食べたあの喫茶店のパフェのように、私たちをより一層楽しませてくれるに違いないだろう。

 


スッパバンド『KONTAKTE』(Kiti)

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http://cookiescene.jp/2012/11/kontaktekiti.php

スッパバンド『KONTAKTE』(Kiti)

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 「ほら、ちゃんとしっかりしなさい。大人なんだから」。そんな言葉を聞かされるたびに、大人ってなんだろうな、と考えさせられ、その度にナンシー関の言葉を思い出す。



 《「大人はちゃんとしているものだ」という考えが大間違いであることに気がついたのは、20歳を過ぎてからでした。》(「何の因果で」角川文庫より)



 そもそも"大人"なんていう基準あるようでないものなんだから、何だっていいじゃないか。でたらめなまま、わからないことだらけのまま大人になったっていいじゃないか。傷つきやすいまま大人になったっていいじゃないか。そんな想いを抱いている人には是非スッパバンドを聴いてもらいたい。どんな姿でいてもいいんだよって、全てを肯定してくれているように思えてくる。



 例えるならば、日本人だと倉地久美夫、外国人ならハーフ・ジャパニーズのジャド・フェア、パステルズのステファン・パステルといった素朴で繊細、そして硬派で、ときどきクレイジーといった、いつも目が離せない子供のようにプリミティブでイノセントな曲調。とはいえ、特筆すべき部分は歌詞にあるのではないかと私は思っている。本作の言葉には、どこか遠い過去に置いてきてしまった素直な感情があるからだ。



 《月が球体だって信じられない / あの月が丸いなんて確かめられない / 空に綺麗な爪が嘘みたいに / ただ浮かんでいるようにしか見えないから》(「キアヌリーブス」)



 "月が丸い"なんて教科書で習ったけど、本当にそうなのか、実物をしっかりこの目でみたわけではないから確信は持てない。けれど、周りがそういっているし、「何で丸いの?」って訊いたら変だと思われそうだしなあ...よし、じゃあここは周りに合わせておくか...なんていう心の葛藤のようなもの、皆さんも一度くらいは持ったことあるのではないだろうか。そういう、「大人になったら口に出しては訊けないこと」も素直に書かれているから、聴いていて安心する。



 「ラブミー0点だー」には、《浮かれていたいのに / 全部気のせいな気がする / ひとつひとつにドギマギして / 減点を回避しようとしている》という一節がある。年を重ねていくと、自分自身の不備を隠蔽したくなる。大人であることに責任を持たねばならないからだ。役回りだけは大人、偉そうに出来る。でも中身は子供といった感じだろう。だが一方で、《素直になりたくて / 素直になれなくて / 素直ってなんだっけ? / 素直になれたって》と胸の内の葛藤を明かし、さらに《年甲斐もなく背伸びしようとしてる時点で / もう0点だー / 0点だー》と、隠蔽しようとした自分を認めてもいる。素直に反省したそんな自分を愛そうってことで「ラブミー0点だー」と名付けたのだろうか。そんなことを考えた。



 この『KONTAKTE』、素直な子供が持っている歪(いびつ)でユーモラス、そしてキラキラ輝く美しさを全て持った大人のよう。いつまでも童心を忘れずに、そんな大人になれたらなあ。そう思わずには居られない一枚だ。