シブヤニシムラフルーツパーラー

================

http://www.popsicleclip.com/review/

『食べすすんでいくと、少ししょっぱい。』

humming parlour

================

泣きながら食べる喫茶店のパフェの味は、むせるほど甘ったるくて、涙のせいかどこかしょっぱい。まるで人生みたいだなとちょっとばかりくさいことも言いたくなるような、美味しいのだけど胸が苦しくて甘酸っぱい…そんな味がする。

それが、『humming parlour』という女性ヴォーカルkawaie.を中心としたユニット名と、2013年5月8日に発売された『食べすすんでいくと、少ししょっぱい。』という、フィジカルな形としては初めてリリースされるアルバムタイトル名を聞いて、はじめに感じた印象だった。

 

フェンスを突き破り、黄色いワンピースを着たパンツ丸見えの女の子が空を飛ぶ、可愛くて一際目立つジャケット。ワクワクしながら封を開けてCDをかけてみる。

優しく紡がれるメロディーとウィスパーヴォイスが軽やかに流れ出す。アドバンテージ・ルーシーやシンバルズ、ラウンド・テーブル、そしてカーディガンズをも彷彿させるようなネオアコ系ギター・ポップは、軽快で心が弾む。

 

1曲目「arpeggio」では、その名の通りアルペジオから始まり、《I can fly, because nice today/it's ready, it's trendy》《今日は飛ぶにはもってこいだ/すぐに行こう/ノリが大事!そうでしょ?》と現状から脱出したい願望を示し、《わたしはこの青い道を知ってる/素敵なタイと夏の嘘》と言うことで旅の行き先を教えてくれる。これは、旅立つ前の浮き足立っている感情を曲に込めているのだろう。BPMも160ほどのアップテンポで、浮かれる気持ちをさらに後押しする。

 

爽やかなネオアコ系ギター・ポップだけではない側面が垣間みられる5曲目「triangle of the heaven」では、伊東達也(Gt)が影響を受けたというザ・スミスを想起させる、パンキッシュで透明感溢れる美しいギターの音色がキリっと際立つ。《緑がざわめく場所へと出たんだ/その中で君の記憶を見送る/ただ、何も言えず/踊っていたんだ》という、好きな人をただ遠くで眺め、記憶のなかで生き続ければ満足だという恋に臆病な歌詞もザ・スミスのようだ。

 

そしてラストの「door」は、それまでのイメージとは異なるしっとりとしたバラードソング。丁寧に指弾きされるアコースティックギター、グロッケンと鍵盤ハーモニカ、そしてぽつりぽつりとしたつぶやき。

自身の心情は、《続いてゆくこの星の少しを/瞬く間に駆け抜ける私は/ためらい、持て余すほど疎くて》と明確に話すのに、二人称に向けての願望は《叶うはずないただひとつ、「このまま」》と、曖昧に表現する。もっと歌いこみたいという気持ちをぐっとこらえ、感情を出し惜しみするため、この効果により、彼らが描き出そうとする世界を私たちは想像する。そのため、深い余韻が生まれ、心情や風景描写が明確に浮かび、より豊かなイメージへと広がってゆく。

 

「ああ!人生謳歌してる、毎日が楽しいわ!だけどね、ただただ楽しいだけじゃなくて、人生って色々あるんだよね……。」なんてリアリティのある日常も描き出すhumming parlour。ふり幅がある今作は、いつか食べたあの喫茶店のパフェのように、私たちをより一層楽しませてくれるに違いないだろう。

 


スッパバンド『KONTAKTE』(Kiti)

================

http://cookiescene.jp/2012/11/kontaktekiti.php

スッパバンド『KONTAKTE』(Kiti)

================

 「ほら、ちゃんとしっかりしなさい。大人なんだから」。そんな言葉を聞かされるたびに、大人ってなんだろうな、と考えさせられ、その度にナンシー関の言葉を思い出す。



 《「大人はちゃんとしているものだ」という考えが大間違いであることに気がついたのは、20歳を過ぎてからでした。》(「何の因果で」角川文庫より)



 そもそも"大人"なんていう基準あるようでないものなんだから、何だっていいじゃないか。でたらめなまま、わからないことだらけのまま大人になったっていいじゃないか。傷つきやすいまま大人になったっていいじゃないか。そんな想いを抱いている人には是非スッパバンドを聴いてもらいたい。どんな姿でいてもいいんだよって、全てを肯定してくれているように思えてくる。



 例えるならば、日本人だと倉地久美夫、外国人ならハーフ・ジャパニーズのジャド・フェア、パステルズのステファン・パステルといった素朴で繊細、そして硬派で、ときどきクレイジーといった、いつも目が離せない子供のようにプリミティブでイノセントな曲調。とはいえ、特筆すべき部分は歌詞にあるのではないかと私は思っている。本作の言葉には、どこか遠い過去に置いてきてしまった素直な感情があるからだ。



 《月が球体だって信じられない / あの月が丸いなんて確かめられない / 空に綺麗な爪が嘘みたいに / ただ浮かんでいるようにしか見えないから》(「キアヌリーブス」)



 "月が丸い"なんて教科書で習ったけど、本当にそうなのか、実物をしっかりこの目でみたわけではないから確信は持てない。けれど、周りがそういっているし、「何で丸いの?」って訊いたら変だと思われそうだしなあ...よし、じゃあここは周りに合わせておくか...なんていう心の葛藤のようなもの、皆さんも一度くらいは持ったことあるのではないだろうか。そういう、「大人になったら口に出しては訊けないこと」も素直に書かれているから、聴いていて安心する。



 「ラブミー0点だー」には、《浮かれていたいのに / 全部気のせいな気がする / ひとつひとつにドギマギして / 減点を回避しようとしている》という一節がある。年を重ねていくと、自分自身の不備を隠蔽したくなる。大人であることに責任を持たねばならないからだ。役回りだけは大人、偉そうに出来る。でも中身は子供といった感じだろう。だが一方で、《素直になりたくて / 素直になれなくて / 素直ってなんだっけ? / 素直になれたって》と胸の内の葛藤を明かし、さらに《年甲斐もなく背伸びしようとしてる時点で / もう0点だー / 0点だー》と、隠蔽しようとした自分を認めてもいる。素直に反省したそんな自分を愛そうってことで「ラブミー0点だー」と名付けたのだろうか。そんなことを考えた。



 この『KONTAKTE』、素直な子供が持っている歪(いびつ)でユーモラス、そしてキラキラ輝く美しさを全て持った大人のよう。いつまでも童心を忘れずに、そんな大人になれたらなあ。そう思わずには居られない一枚だ。


大森靖子『魔法が使えないなら死にたい』(Pink Records)

================

http://cookiescene.jp/2013/03/pink-records.php

大森靖子『魔法が使えないなら死にたい』(Pink Records)

================

 人生、どうしたって上手くいかないことがある。呼吸しているだけでも胸くそ悪いし、とっとと地球なんか終わってしまえって心底思うし、生まれたときから背負った不景気は今の政治のせいだって思いながら心もとない財布の中身を憂い、目の前で幸せそうに歩く酔っぱらいですらも憎しみの対象へ早変わり。



 冷静なときはそんなこと思っちゃいないし、こんなこと思ってもいけない...ってわかるけど、やりきれないときだってある。涙を拭いながら、ああ明日もまた生きなくちゃ、辛くたってなんとかしなくちゃならないなって、月夜に照らされながら強く実感することもある。



 私が大森靖子と初めて出会ったのは、彼女が主催する月例企画だった。初見で感じた素直な感想は、一言で表すなら、「恐怖」でしかなかった。



 ギターを掻き乱し、思いのたけを怒鳴り散らすかのように歌いあげる。乱れた髪の隙間から見える鋭い眼差しで、客席にいるひとりひとりを睨みつけて、てめえの胸倉をつかんでぶん殴ってやる! という気迫すら感じさせる迫真のステージング。だけど、ひとたび歌い終えると、丁寧に「ありがとうございます」とはにかみ、かわいらしい声でMCをする。



 歌わなければこんなに可憐で麗しい女性なのに、中島みゆきのように世を憂いだり、モーニング娘。のようにキャッキャはしゃぐし、演歌歌手のようにどっぷり歌いあげるし、取り乱して怒鳴ったりするし、イタコのようで感情が山の天気だ。



 むかし、小さな犬ほどよく吠えると聞いたことがある。自分自身に自信がないため虚勢を張り、自分を大きく見せようとするあまり、他者をむやみに攻撃して本当の自分を隠す。もしかしたら、誰かの気を引きたくて、注目を浴びたくて、自分を偽っているのだろうか。



 大森靖子って本当は、音楽の力を信じた優しい心の持ち主なんじゃないか?音楽の魔法を信じているから、『魔法が使えなかったら死にたい』って思うんじゃないか。鋭い目で睨みつけるのは私たちを警戒しているからだろうか、見つめる先にはなぜだか哀愁と孤独が見え隠れする。ここに私はいるよ!って、だれかに存在をわかってほしくて孤独を垂れ流しているのだろうか、もしかしてこの人は寂しがり屋なのかもしれないなあ。



 もし人間に、"自分"という名の器があるのなら、彼女はとっくにはみ出してる。抑え切れない激情、悲しみ、孤独、そして煌きが溢れだし、歌へどばっとなだれ込む。彼女は表現者というより、芸術家に近いものを感じる。椎名林檎のような100%作り物の真っ赤な嘘だったら、大人が作りあげたはりぼての女王様だって気づいたうえで私たちは楽しめるけれど、彼女の作品はほんの少しだけ真実が混ざっているから、本当なのか嘘なのか判別がつかない。その私たちの反応をみて、大森は楽しんでいるのではないだろうか。それが顕著に現れているのは、椎名林檎のアルバム『勝訴ストリップ』を引用したジャケット。何かを模倣することで「パクった、パクらない」といった論争に火がつき、いわゆる"文化人"たちの話題となる。やられた、まんまと彼女の思うつぼだ!



 そういえば過去に大森はブログでこんなことを話していた。



 《私こんなだけど、確実に誰かの雑音だけど、誰かに元気をあげれたらいいなって本気で思って音楽をやっているんだよ。だって私はそうだったから。好きな歌、好きな孤独を垂れ流して、なーんだ私だけじゃないんじゃんってラクになれた。そのときの私が好きになれる音楽にしようっていうのだけはいつも心がけている。》(2013年2月15日エントリー「うれしかったこと」 大森靖子ブログ「あまい」より)



 この言葉に物凄く共感した。冒頭で述べた私の洗い流せない感情は、彼女の音楽によってすべて浄化されるし、彼女自身が望んでることを本作は実現できている。私は、あなたが垂れ流す素敵な孤独をとても愛していますよ。どうもありがとう。

ひとつになれたら

================

http://www.popsicleclip.com/2013/04/06/004-duet-chocolat-akito/

『DUET』Chocolat & Akito

================


 地球が踊ったその日から、なにかにつけて愛だの勇気だの歌うものだから、正直いっておなかいっぱいだった。そういう意図が仮になかったとしても、その日を境に発表されたものは、そういう風に出来ているものだと見なされてしまう風潮がどこかにあるような気すらもした。そういう風に感じてとってしまう自分も嫌だった。本来ならもっと純粋なものだったはず。それでも音楽は鳴り続ける、もっと純粋に音楽を楽しみたい。

 

この世の中に散らばっている純粋なもの、それは愛だと私は思っている。人それぞれさまざまな形があるけれど、誰かを慈しみ、愛することは何物にも何事にも置き換えられない、心から涌きあがる純粋な感情である。もう愛だの勇気だのおなかいっぱいだと思っていたけれど、この『DUET』というアルバムは純粋にいいと思えた。自然と滲み出る優しい暖かさがとても沁みたから。

 

なるほど、じゃあこれは Chocolat & Akito 夫妻の愛が詰まった多幸感溢れる一枚なんだろうなあと侮ることなかれ。1曲目「one」から、その期待は良い意味で大きく裏切られる。なんと、いきなり失恋するのである。しかし、ここで指す失恋は、復縁できないといった修正不可能な失恋ではない。恋から卒業して、愛へと変化する様子を歌っている。もう相手なしでは生きていけないと確信した瞬間に、恋が本物の愛へと変わり、自然とふたりがひとつになる。「この世界を見つめると/言葉が奪われた/沈黙の中/孤独の中/確かな愛だけ/強く感じる」という描写は、相手の存在がどん底で真っ暗な絶望の中でも明るく照らしてくれる道しるべとなるということを言いたいのだろう。ボサノバのように鳴り響く曲調も相まって、ありふれた日常にある普遍的な愛にパッと明るさや彩りを与えてくれる。

 

そして、この曲は Akito(Vo/Gt) ことソングライターの片寄明人がもうひとつ掛け持つ Great3 の「彼岸」と表裏一体になっていることにお気づきだろうか。「彼岸」も恋から愛へと変化する楽曲なのだが、相手を“死”という体験をもって失ってから本当に愛していたことを確信している。片寄自身、オフィシャルサイトで次のように語っている。「「彼岸」の直接的なテーマは、結果的に活動休止タイミングと重なってしまったデビュー前からのGREAT3のマネージャー突然の逝去から始まり、この約7年間に両手では数え切れないほど自分の身に起きた、大切な友人達との別れです。そしてそのいくつかの哀しみは白根賢一とも共有してきたものでした。ラブソングと言っても、この世を去っていった人達へのラブソングです。」

 

同じラブソングとはいえ、ここまで幅を持たせて歌詞を書ける片寄はやっぱり素晴らしく、5年9ヶ月待たせた私たちに最高の音楽を届けてくれたと言っても過言ではない。『DUET』というタイトルからもわかる通り、夫婦をテーマにし、今作のキー曲「One」をいきなりはじめにもってくる演出も私たちを放っては置かない。気持ちのいい憎さ。

 

そんないじらしさを思う存分発揮しているのは、4曲目の「Daddy Daddy」。4つ打ちのドラミングから始まるダンサブルチューンに合わせて、愛しいが故にしてしまう喧嘩の様子を可愛く歌っている。けれど、「Daddy Daddy Daddy Daddy 赦しこそ愛」と言い切ってしまう彼らは大人だ。まだまだ子ども(といっても23歳)の私にはまだわかりかねる世界だ…。

 

そして、今夏多くの豪華ミュージシャンによってリミックス及びミックス・アレンジが施されたことでおなじみの「扉」。シンセサイザーの突き刺さるようにまっすぐで軽快なサウンドは、どこかDaryl Hall & Oates、Talking Heads といった80’sニューウェイヴのファンキーな印象も、50’sオールディーズの印象も受ける。

 

音は、過去に存在した古き良き時代のものを奏でているのに対し、出だしの歌詞は「閉じた扉は/無理にこじ開けず/執着しないで/開かれた扉/きっとその奥に/何かある」というように、様々なしがらみから解き放たれよう、未来へ向けて歩き出そうとする姿が見える。扉という言葉自体、次のステージへ進む通過儀礼のような意味も持つし、心のスイッチのような意味も持つ。おそらく聞き手に意味は委ねているのだろうけど、「知れば知るほどなんで/何も言えなくなるんだろう/まるで子供のように/無邪気になりたい/誰に笑われてもいい/後悔したくない/泣きっ面に蜂だって/少しでも前に進もう」と歌詞にあるように前進する人びとへ向けての応援歌のようだ。

 

冒頭で、もう愛だの勇気だのおなかいっぱいだと話したが、命の危険に曝されると家族の安否が気になるし、不安になると誰かの声を聞きたくなる。やっぱり根底には、豊かな愛が潜んでいる。そんな純粋無垢な気持ちを忘れたくないし、愛に触れるときのように、様々なしがらみから脱して、純粋に楽しく音楽を聴いていたあの頃の自分に戻れたような気がした。