だんらん

2年前のお正月にかいたもの

 

▪️ああやっと帰ってきた、と弟たちの帰宅を喜んでいたのもつかの間、続々とやれ仕事だ学校だと自分の持ち場へと戻ってゆき、それまでみっしりと靴が並んでいた玄関がなんだか寂しい。夜遅くまでがやがやしていたリビングは、1時間ごとに鳴る時計が星に願いを、を流すだけで、しんと静まり返っている。

思えば、家族みんなで食事をとらなくなった。年に3回あればいいほう?年末年始にみんなでご飯が食べられたらラッキーって感じ。だいぶ数が減った。

そんな食卓事情だけど、昔、うちには父親によって作られた「食事における父親ルール」あった。

(その1)日曜の夜だけは、絶対にみんなで食事をする
(その2)家族で食事をするときは絶対にテレビを消す
(ただし、どうしても見たいというならば、NHKのみ許可)

\えーー!!絶対やなんですけどーーーー!/
それが私たち子どもたちの第一声。
だけど、うちってお父さんが法律みたいなところがあるから、静かに言うことをきくことにした。

部活があっても友達と遊んでても塾があっても、絶対にちびまる子ちゃんまでには帰宅。着席。あ、もちろん配膳も手伝う。

「いただきまーす!!」
『ほら、あやこ肘ついてる!』
「はい、すみません」
としあき、茶碗もて!』
「(ぐすん)」
『泣くな男だろ!』

もう、血の涙も滲んじゃうような食卓だったけど、毎週日曜のこの食事は私が高校を卒業するまでずっと続いた。

で、そこから私がいなくなり、弟も進学を機に家を出て、、と順繰りに巣立っていった。

「いつかな、みんなで話しながら食事できなくなる日が来るから。黙って席ついてろ」

って、よくお父さんが言ってたんだ。その時は、「はー、黙って席ついてろ?どういうこと?」って思ってたけど今ならわかるよ。

本当に家族で食卓を囲めたことがかけがえのない思い出になっているし、感謝してばかり。些細なことで食卓でお父さんと喧嘩した日、あの時は泣いちゃってご飯食べられなかったけど、いまなら笑って話せるいい思い出。

違うところにいたって、帰ってこられる場所がある。それが家族なんだよねきっと。と家族の美談を新年の挨拶にかえさせていただきます。本年もどうぞよろしくお願いします。