贈る言葉

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 ■駅のホームでの出来事。実家への電車を待っていたら、成人女性ひとりに子供ふたりの親子らしき人たちが隣に座った。はじけ飛ぶ豆粒のように目を離したすきにあっちへ行ったりこっちへ行ったり…お母さん大変だろうなぁと気持ちを寄せていたら「みなさん、着席してください!」と学校の先生のような綺麗な言葉遣いで話しかける声が聞こえた。「私の要望は!ふたりが静かに着席することです!」「遊びたい気持ちはわかりますが、今は電車を待ちましょう!」すごい、教科書の例文か!と思わず突っ込みたくなるほどの声に出したい日本語感。きっと将来のために指導のために…と思って話しているんだろうけど、なんとな~く距離を感じてしまう。そんなときってなんて話しかけるのがいいんだろうね。お母さん頑張ってね、って心の中で静かにエールを送った。

 

■街のはずれにある小さな歯科医に通っていたが、とある事情で都心にある大きな大学病院へ行くことになった。セカンドオピニオンのためだ。(セカンドオピニオンの意味がわからない人はGoogleで検索してみてね。)

今回においてはお世話になっていた歯医者からの紹介という形で、大学病院で話を聞く、ということが出来たが、たとえば急な病気になった際にかかりつけ医がない場合は病院選びってすごく困ると思う。そこで、先生にこういった場合はどうすればいいですか?と質問を投げかけたところ、「正直私にもわかりません」との回答が返ってきた。思わず、先生でもわからないんですか?と笑ってしまったが、これが現実みたい。

実際にお世話になってみないと病院との相性はわからないし、高額な治療費を投資するからといって名医とは限らないし、小さな診療所だからといって治療が疎かにされるわけではないようだ。

インターネットという情報網を駆使しても結局手に入れられる情報は、表向きの情報と病院があるという事実のみで、治療に関することや病院の感触っていうのはイマイチわからない。

Googleでは、医療や健康に関する信頼性のおけるサイトは上位に表示するアップデートをしたようだけど、情報化社会が発達しても頼りになるのは自分の感覚だけなのかもね。

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■実家へ帰るときに常磐線を利用するんだけど、その時に見える荒川(だよね?)の水面がとても綺麗。きらきら煌めく水面をみるたびに、なぜだか海援隊贈る言葉が脳内で流れる。この贈る言葉、前職のときにもよく脳内で流していた。本当にあり得ないやり方で仕事を振ってくる野暮なやつらや人の気持ちを考えられず簡単に傷つけるやつらに対して、やりきれない気持ちを抱えていたとき、何度も歌詞を胸中で復唱してた。

「人は悲しみが多いほど 人には優しく出来るのだから」「信じられぬと嘆くよりも 人を信じて傷つくほうがいい」「だけど私ほどあなたのことを 深く愛したやつはいない」

愛を持って仕事をする、何があっても人を見捨てない、この事態を乗り越えれば人に優しくなれる…そう思うことで自分を律していた日々をふと思い出す。

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