人にやさしく

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「自分の人生っていまどこらへんだと思う?」

『あ、あと何年ぐらい生きるか想定してってことですか?』

「そうそう。」

『うーん、80歳まで生きるとしたら、まだ序盤かなぁ。季節でいうと、ちょうど今ぐらい。初夏。もうすぐで夏に差し掛かるぐらい?』

「初夏か〜。面白い表現だね。」

『あ、いま馬鹿にしたでしょ。ずっと笑ってる。』

「いや、そんなことないよ。初夏ね。でもさ、突然今日死んじゃうこともありえるからね。いつだって寿命は、あるようでないようなものなんだろうな。」

『えーっ。なんか急に孤独になる!不安になるからやめて!』

■いつか訪れる死のことを考えると、孤独な気持ちになる。孤独を思うと、動物園で飼い慣らされている動物たちに思いを馳せてしまう。

たとえば遠い砂漠から、ひとりしょっぴかれたライオン。言葉も通じない日本にたったひとりでやってきて、死ぬまで自分の生活をよそのひとにさらされ続ける。異文化コミュニケーションは少しばかり信じてるたちだから、言葉は通じないものの、飼育員とはボディランゲージや表情で多少は心通うかもしれないけど、大好きな誰かを想って恋バナしたり、お酒を飲み飲み好きな物事で熱く語り合って朝…とか、阿吽の呼吸で会話できる人はなかなか見つからないまま、死んじゃうんだろうな…。

なんて動物園内で想像すると、猛烈に焦燥感に駆られる。隣で子どもたちがはしゃいでるのを尻目に、動物の目を見て、孤独について思いを馳せちゃう。って言いつつも、周りの無垢な多幸感に染まって、自分も楽しくなっちゃうんだけど。

■百合の花の匂いを嗅ぐと、無条件で死を連想する。もう花が落ちんばかりに熟れたときにする、気が狂いそうなほど甘ったるい洗練された匂いを嗅ぐと、しめやかなお葬式を思い出すから。うちの庭にいくつか植えてあり、この季節がやってくるたび、百合の匂いに心がふと持ってかれる。

■まだまだ死にたくないな。