大森靖子『魔法が使えないなら死にたい』(Pink Records)

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大森靖子『魔法が使えないなら死にたい』(Pink Records)

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 人生、どうしたって上手くいかないことがある。呼吸しているだけでも胸くそ悪いし、とっとと地球なんか終わってしまえって心底思うし、生まれたときから背負った不景気は今の政治のせいだって思いながら心もとない財布の中身を憂い、目の前で幸せそうに歩く酔っぱらいですらも憎しみの対象へ早変わり。



 冷静なときはそんなこと思っちゃいないし、こんなこと思ってもいけない...ってわかるけど、やりきれないときだってある。涙を拭いながら、ああ明日もまた生きなくちゃ、辛くたってなんとかしなくちゃならないなって、月夜に照らされながら強く実感することもある。



 私が大森靖子と初めて出会ったのは、彼女が主催する月例企画だった。初見で感じた素直な感想は、一言で表すなら、「恐怖」でしかなかった。



 ギターを掻き乱し、思いのたけを怒鳴り散らすかのように歌いあげる。乱れた髪の隙間から見える鋭い眼差しで、客席にいるひとりひとりを睨みつけて、てめえの胸倉をつかんでぶん殴ってやる! という気迫すら感じさせる迫真のステージング。だけど、ひとたび歌い終えると、丁寧に「ありがとうございます」とはにかみ、かわいらしい声でMCをする。



 歌わなければこんなに可憐で麗しい女性なのに、中島みゆきのように世を憂いだり、モーニング娘。のようにキャッキャはしゃぐし、演歌歌手のようにどっぷり歌いあげるし、取り乱して怒鳴ったりするし、イタコのようで感情が山の天気だ。



 むかし、小さな犬ほどよく吠えると聞いたことがある。自分自身に自信がないため虚勢を張り、自分を大きく見せようとするあまり、他者をむやみに攻撃して本当の自分を隠す。もしかしたら、誰かの気を引きたくて、注目を浴びたくて、自分を偽っているのだろうか。



 大森靖子って本当は、音楽の力を信じた優しい心の持ち主なんじゃないか?音楽の魔法を信じているから、『魔法が使えなかったら死にたい』って思うんじゃないか。鋭い目で睨みつけるのは私たちを警戒しているからだろうか、見つめる先にはなぜだか哀愁と孤独が見え隠れする。ここに私はいるよ!って、だれかに存在をわかってほしくて孤独を垂れ流しているのだろうか、もしかしてこの人は寂しがり屋なのかもしれないなあ。



 もし人間に、"自分"という名の器があるのなら、彼女はとっくにはみ出してる。抑え切れない激情、悲しみ、孤独、そして煌きが溢れだし、歌へどばっとなだれ込む。彼女は表現者というより、芸術家に近いものを感じる。椎名林檎のような100%作り物の真っ赤な嘘だったら、大人が作りあげたはりぼての女王様だって気づいたうえで私たちは楽しめるけれど、彼女の作品はほんの少しだけ真実が混ざっているから、本当なのか嘘なのか判別がつかない。その私たちの反応をみて、大森は楽しんでいるのではないだろうか。それが顕著に現れているのは、椎名林檎のアルバム『勝訴ストリップ』を引用したジャケット。何かを模倣することで「パクった、パクらない」といった論争に火がつき、いわゆる"文化人"たちの話題となる。やられた、まんまと彼女の思うつぼだ!



 そういえば過去に大森はブログでこんなことを話していた。



 《私こんなだけど、確実に誰かの雑音だけど、誰かに元気をあげれたらいいなって本気で思って音楽をやっているんだよ。だって私はそうだったから。好きな歌、好きな孤独を垂れ流して、なーんだ私だけじゃないんじゃんってラクになれた。そのときの私が好きになれる音楽にしようっていうのだけはいつも心がけている。》(2013年2月15日エントリー「うれしかったこと」 大森靖子ブログ「あまい」より)



 この言葉に物凄く共感した。冒頭で述べた私の洗い流せない感情は、彼女の音楽によってすべて浄化されるし、彼女自身が望んでることを本作は実現できている。私は、あなたが垂れ流す素敵な孤独をとても愛していますよ。どうもありがとう。